2008年06月04日
横浜は、東京の身代わりと言うか防波堤??
6月2日は、開港記念日でした。あいにくの雨でしたけど。
ご存知の通り、1858年の日米修好通商条約に基いて、横浜が開港したのが1859年6月2日。来年は、いよいよ開港150年ですね。
むろん、ペリー江戸で交渉するのが国際的な慣習であると主張したわけですが、幕府側は江戸市中への外国人の立ち入りを拒否して、当時は一寒村に過ぎなかった横浜を交渉場所として主張したんですね。
お陰で、我が横浜は西洋文化の表玄関となし、ヒト・モノ・カネ・知識・技術・文化そして情報と、あらゆる人的・物的交流の中心になれたとういうわけです。
そういえば、このこの「ペリー」を「マッカーサー」に、「江戸」を「東京」に、「幕府」を「日本政府」に、「西洋文化」を「豊かなアメリカ文化」に置き換えると、そのまま戦後の横濱の歴史史になりますね。
横浜は2度にわたって、東京の身代わりと言うか防波堤のように使われた感もありますが、それが幸いして、とてもお洒落な街として発展したというわけですね。
ご存知の通り、1858年の日米修好通商条約に基いて、横浜が開港したのが1859年6月2日。来年は、いよいよ開港150年ですね。
むろん、ペリー江戸で交渉するのが国際的な慣習であると主張したわけですが、幕府側は江戸市中への外国人の立ち入りを拒否して、当時は一寒村に過ぎなかった横浜を交渉場所として主張したんですね。
お陰で、我が横浜は西洋文化の表玄関となし、ヒト・モノ・カネ・知識・技術・文化そして情報と、あらゆる人的・物的交流の中心になれたとういうわけです。
そういえば、このこの「ペリー」を「マッカーサー」に、「江戸」を「東京」に、「幕府」を「日本政府」に、「西洋文化」を「豊かなアメリカ文化」に置き換えると、そのまま戦後の横濱の歴史史になりますね。
横浜は2度にわたって、東京の身代わりと言うか防波堤のように使われた感もありますが、それが幸いして、とてもお洒落な街として発展したというわけですね。
Posted by 山手のドルフィン at 00:34
│日記です